つづるgraph

自由につづり、自由に描く。

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「期待に応えようとして大食いキャラ」だったけど、きっぱりと断ち切りたい

 

進路だったり職業だったりについて、「親の期待に応えたい」 という気持ちを持ったことはありますか?わたしは一切ありません。

 

幼少期からピアノを習っていて、母からやんわり「高校の音楽科に進む」ことを希望されていたような気はするのだけど、「受験対策」っぽい先生に移ったとたんピアノが大嫌いになり音楽科など微塵も候補に上がりませんでした。

 

中学ではそれなりに成績がよかったので「じゃあ進学校に」とやんわり期待されていたようですが、ここでも私は「吹奏楽部が強い高校がいい」と、ぐんと偏差値の低い商業高校に進んでしまいます。(これは今となっては後悔しているのだけど…進路選択について話ができる大人がわたしの周りにいなかったのです)

 

職業に関しては、親の希望を聞いたこともないし、応えたいという気持ちを持ったことすらありませんでした。

そもそも両親は家で仕事の話を一切しなかったので、どんな仕事をしているかほとんど知らず、同じ職業を目指したいという気持ちも全く生まれなかった。

 

そんなわたしなので、友人が「親の期待に応えようとしてしまう」というのを聞いてかなりの衝撃を受けていたのだけど、

つい最近になって、ある意味では期待に応えようとしていたのだ、しかも今までずっと!ということに気がついたのです。

それが、「大食いキャラでいること」、でした。

 

小さなころから大食いキャラだった

子どもの頃から大食いキャラでした。4人きょうだいで、4人ともみんな大食い。

4人もいるのでおかずは毎晩争奪戦。つまり早食いに。

そして「大食い×早食い」という太る街道まっしぐら!

学校でも、部活の合宿なんかではみんなの食べ残しを一掃する役回りとなっていました。

 

思春期を迎えた頃から、美容に目覚めた妹は大食い戦線をさりげなく離脱したんです。

が、私は美容やら恋愛やらに無頓着キャラがずっと染み付いていて、

両親から「あえかは食べるやろ」と言われ続け、

祖父母・親戚で集まった時なども「あえかちゃんはいっぱい食べてくれるから気持ちいいねぇ」なんて喜ばれ、

「わたしはそれに応えなきゃ(なんで妹は食べなくてもいいの)」ともぐもぐ食べ続けていました。

実家とかおばあちゃんあるあるだと思うのですけど、やたらと大量の食べ物が用意されてるんですよね。それを見ると、「わたしに食べてもらおうと思って用意してくれたんだから、食べなきゃ」って思っちゃうんです。

義実家でも食べるキャラ確立

そんなわたしは、義実家でも順調に食べるキャラを確立していきました。

義実家のみなさん、少食なのですよ。義父も義母もガリッガリ。最近更に痩せてきてて…心配になっています。

夫もガツガツ食べるタイプではなく、かならず腹八分目以内に収める人。

それなのに、義実家に行くとやはり帰省あるあるで大量にお寿司など用意していただいて…

「わたしが食べなかったら、このお寿司は一体どうなっちゃうの!?」と、心配になってしまうのです。

 

お寿司なんて最悪でも次の朝くらいには食べないと傷んじゃう。

次の朝に大量にお寿司が残ってしまったら、そしてそれをわたしが食べ切れなかったら、きっと義母が朝ごはんにちょこっと食べて、それでも残っちゃって捨てられちゃうんだろう。

 

「せっかく用意してくれたお寿司なのに、古くなったものを義母に食べさせてしまって申し訳ない」

「せっかく用意してくれたお寿司を捨てさせてしまって申し訳ない」

そんな思いから、

なるべく次の日に持ち越さないようにその晩のうちに、

なるべく義母に食べさせないように残ったものはわたしが引き受けなきゃ、と、

一人で責任をとるかのように、毎食一人でお腹をパンパンにしているのです。

(そして帰省するといつも2kgは太って帰ってきます。)

 

 

気づいたら、みんなに都合のいい残飯処理係。

そんな残飯処理係体質、今の家庭でも引き続き請け負ってしまっています。

超偏食長女は最近「超気まぐれ」「超少食」も兼ね備えてきて、

「食べたい」って言ったから作ったのに、買ったのに、平気でほとんど残します。

夫はさっきも書いた通り「必ず腹八分目以下に抑えるマン」なので、

まだたくさん残っていても、自分の中での適量がきたらスパッと食べるのをやめます。

そして、平気で「残りはどうぞ」とか「次のごはんの時にでも食べて」とか言うんです。

 

でも、わたしだって、自分の適量は自分で決めたいし、

次の食事で何を食べるかは自分で決めたいのです。

晩ごはんに、長女のお昼の残りのパンなんて食べたくないし、

「お昼はお気に入りのシリアルが食べたいな」って時にがっつりおかずをプラスされたくないのです。

 

人の残り物ばかり食べることに不満を言うと、夫はいともかんたんに「でも母親ってそういうもんじゃない?」とか言うんですけど、

わたしはそんな昭和の良妻賢母ちゃうぞ。時代は令和やぞ。

自分の食事をコントロールする権利すら与えられないのか母親ってやつは?

そんな良妻賢母クソくらえですわ。

『月曜断食』を読んだら、断食してないけど2kg痩せた

長年よく食べるキャラを受け入れてきたわたしが突然こんなふうに「自分の食事量をコントロールしたい」と思うようになったのは、『月曜断食』を読み始めてからです。

断食云々も興味深いのですが、それ以前に

「単純にわたしは食べすぎていたのだ」ということに気付かされました。

読んでたら、毎食毎食お腹いっぱい食べてたのがバカみたいに思えてきて、自然と「お腹いっぱい」って思う前に食事を終えることができるようになって、

断食はしていないのですが2週間で2キロ痩せました。

 

大食いキャラだったわたしには「食事=満腹になること」という刷り込みがあって、

お腹が空いていなくても時間になったらお腹いっぱいになるまでご飯を食べていました。

ストレス耐性が弱いので、育児や夫婦関係でのストレスを「甘いものをガツガツ食べる」ことにぶつけることでストレスが多少なりとも解消するのだと思いこんでいました。

 

でも実際は、日常でそれほどカロリーを消費していないので摂取量もそれほど多くなくて充分なのだし、

甘いものを大量に食べたって、さらなるストレスが蓄積されることはあっても解消されることなんてほとんどなかったのでした。(それなのに、「食べる」という行為に何か夢を見ていたのだな…きっとこのモグモグによってストレスが噛み砕かれるのだ!みたいな)

今年の帰省では、自分の適量で「お腹いっぱい」と言いたい

今この記事を書いているのは、今年の帰省の前にきちんと決意を固めたかったからです。

他人の「あえかなら食べる」という期待に無理に応えようとせずに、自分で適量食べたと思った時点で「お腹いっぱい」だと表明したいのです。

 

わたしが食べなかったら食べ物が余る?

いや、わたし以外の人だってみんな自分の適量でやめてるじゃないの。

腹十二分目くらいまで食べすぎて「動けないー」なんて言ってる人、わたし以外にいなかったじゃないの。

そのような人たちの「食べ物を捨てるのはもったいない」という罪悪感を、全部わたしが引き受けることない。

わたしが食べることでその人たちの罪悪感は消えちゃうんだから。その人たちには本来感じるべき罪悪感を感じてもらえばいいだけ。

わたし一人が罪悪感や責任感からお腹をはちきれんばかりにパンパンにふくらませなくったっていい。

もっと、自分の体も気持ちも大事にしたい!!

 

(これをもっと早く決意できてたら、2年前の次女の出産前の里帰り中、

出産までの1ヶ月ちょっとで4キロも増えるなんて事態には陥らなかったはずなのにね…産んでもお腹出すぎてからかわれすぎて傷ついた。)

 

今年は義実家3泊に実家3泊と、いつもよりちょっと長めの帰省です。

「大食いキャラ」脱却できたかどうか、いい報告ができたらいいな…。

 

わたしにとって食べることってなんだろう

こうやって「食べること」について考えていると、

わたしって、「食べるという行為そのもの」が好きだと思って生きてきたけど、

食材の美味しさをじっくり味わう楽しみってそれほど感じてきていなかったのだな…とようやく認識しました。

熊本に引っ越してきて、目新しい魚や野菜をいろいろ食べてみているんですけど、

それほど違いがはっきりわからないんです。

義母が育てた野菜を送ってもらっても、夫のように「やっぱり美味しい」ってはっきりわからないんです。

 

なんだか、わたしにとって「食べること」って、美味しいものを味わうことではなく、

「早くたくさんのものをお腹に収めること」になってしまっていたな…と虚しくなりました。

 

「食べること」、今後もじっくり考えていきたい課題です。

 

 

▼この記事、帰省後の体重増加への悲痛な叫びでもありました。

その後数キロは減らせたものの…引っ越しやら何やらのストレスのせいで(ストレスのせいにする!)また戻ってしまってました。。

 

筆者:あえか(id:AEKA)
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